卒園そして就学へ

自閉症スペクトラム(ASD)

この時期学校は、卒業ラッシュですね。わが家の息子氏も先週卒園式を迎えました。幼稚園に通うようになってもう3年経ったのかと、私も嫁様も驚いております。息子氏は、通い始めた頃、終始無言でした。パパ・ママすら言わなかった息子氏ですが、今ではいろいろなことを表現しようとチャレンジするようになりました。きっと、他のお子さんと交流する間に、コミュニケーションがとれるといろいろと楽しいことができるという体験が得られたためでしょう。

一方で、このブログの題名にある通り、発語にはまだまだチャレンジングなところが多いのも事実です。3年前は単語以前に、母音・子音レベルで発音が不明瞭で名詞単独ですら、親が聞き取れないことが多々でした。ほとんどが喃語、わずかに頑張れば聞き取れる。そんな状況から、今では日常生活で使う単語については、発音自体は不正確であるものの、概ね聞き取れるレベルに大きく成長しました。最近では、息子氏は動詞を混ぜられるようになったので、何をどうしたいのか推測混ぜれば理解できるようになり、意思疎通はとても楽になりました。これは本当に本当に大きな進歩です。卒園式の息子氏の一回り成熟した挙動を見ながら目頭が熱くなりました。大きくなったなとしみじみ。

過保護は止めよう

卒園式では、多岐にわたる印象深いスピーチを拝聴しました。特に印象が深かったのは、園長先生の祝辞です。それは、親のサポートを多く必要としていた子どもは、大きく育ち、自分の意志で立とうとしている。子どもの人生は、子どものものであり、親はそれを暖かく見守りながらサポートしていく必要がある。今までは、親が先回りをしてあれこれとやっていたのを、子どもの意思をよく尊重しサポートしましょう、と。

これは、子どもに対する過度な保護を控え、彼らの判断を信頼する重要性を示唆するものと解釈しました。

子どもに対する深い愛情ゆえに、親というものはつい多くのことを手助けしてしまう傾向があります。そして、それはこれにより、子ども自身が失敗から学ぶ貴重な機会が奪われてしまう恐れがあります。「かわいい子には旅をさせろ」ということわざは、子どもへのメッセージではなく、親に対して子どもからの自立を促すメッセージとして解釈するといいのかもしれませんね。

さぁ、春から就学です。

…心配だなぁ(笑)

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